第3回クリニック研究会パネル
道あゆみ弁護士の司会により、宮川成雄教授、宮澤節生教授、ピータージョイ教授、飯田隆弁護士がパネリストとなった。
名古屋の藤田哲弁護士は天候不良で欠席。
町村泰貴@國學院120周年記念1号館
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道あゆみ弁護士の司会により、宮川成雄教授、宮澤節生教授、ピータージョイ教授、飯田隆弁護士がパネリストとなった。
名古屋の藤田哲弁護士は天候不良で欠席。
町村泰貴@國學院120周年記念1号館
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本件契約にある特約
3年ごとに月額賃料の改定を行うものとし,改定後の賃料は,従前の賃料に消費者物価指数の変動率を乗じ,公租公課の増減額を加算又は控除した額とするが,消費者物価指数が下降したとしても,それに応じて賃料の減額をすることはない
平成6年4月時点の本件各土地の価格は,本件1土地が5億9670万円,本件2土地が8億0260万円,本件3土地が3億2000万円であったが,その後,急激に下落した。平成13年2月時点の本件各土地の価格は,それぞれ,1億5100万円,2億0310万円,8100万円であった。
さて、借地借家法11条には「地代又は土地の借賃が、土地に対する租税その他の公課の増減により、土地の価格の上昇若しくは低下その他の経済事情の変動により、又は近傍類似の土地の地代等に比較して不相当となったときは、契約の条件にかかわらず、当事者は、将来に向かって地代等の額の増減を請求することができる。ただし、一定の期間地代等を増減しない旨の特約がある場合には、その定めに従う。」と規定されている。
また16条には片面的強行法規の規定があるが、それには11条は含まれていない。
この条件下で、借主が賃料の減額を求めたが、貸主は拒否。そこで減額後の賃料の確認を求める訴えを起こした。この訴えは認められるか?
答えは上記判決文を参照のこと。
しかし、こういう事案を見ると、あからさまに貸し主にのみ有利な特約が堂々とあるものだと感心する。
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今、傀儡政権の典型が一つ生まれたところを、私たちは目の当たりにしている。
そして傀儡をたてる国が強大すぎて、誰も「傀儡だ」と叫ぶこともできないでいることも、目の当たりにしている。
もっとも傀儡をとりあえずたてて、後始末は国連に押しつけて自分達は逃げ出すシナリオを作っているのであれば、それはそれで賢いかもしれない。少なくとも親分の言うことにどこまでも尻尾を振るしかないため引き際など考えることもできない子犬よりは、数段ましかもしれない。
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初めて「文化・芸術」なるカテゴリを使用した。
さて、井上匡子助教授のサイトにあったフィガロの結婚と初夜権の話、私も見たのだが、かねがね初夜権なるものは本当にあったのか、疑問に思っていた。
ネット上には、初夜権の様々な情報が溢れていて、日本にも仲人が三日間花嫁を自分のうちで訓練する(何をだ?)習慣があるとか紹介されていて、なるほど〜と思うのだが、領主様とはいえあまりにご無体な、という気がする。
フィガロのお話については音楽付きで楽しいフィガロの結婚よもやま話参照。
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本日はWinnyシンポがあった。
会場は8割方埋まって、大盛況であった。この問題への関心の高さをうかがわせる。
第一部の技術的側面に関する報告では、最初の報告者宇田氏がウィニーの機能を解説し、特に暗号による匿名化機能はほとんど役に立っていない、ウィニーを起動し、何をアップしたりキャッシュに蓄えたりしているかは外部から特定可能であると強調した。「これを聞いて気分が悪くなった方はお家にお帰りになっては」という「ユーモア」は、少々失敗であったかも。
次の岡村耕二氏は、九大のネットワーク管理者の立場から報告した。ネットワーク管理者は、情報倫理問題が大学執行部の大きな関心事にならざるを得なくなってきた現状で、官僚的に振る舞わざるを得ず、P2Pソフトの使用禁止を検討してきたし、その禁止に踏み切る方向でいるとのこと。
丸山宏氏の報告は、P2Pにおいて不正コピー防止は可能か、というタイトルであったが、その問には直接答えず、防止よりも抑止が効果的であることと、Winnyのような技術をディスカレッジすることの危険性に言及していた。
第二部は法律関係で、最初は岡村久道氏。アメリカと日本の関係判例を簡潔に紹介した。次は弁護団を代表して壇弁護士。
壇先生が登壇中
壇弁護士は、Winny開発者の逮捕が経済産業政策としての損失と処罰の無限定な広がりをもたらす恐れを強調した。
そして落合洋司弁護士が最後に、招待に答えてもらえなかった権利者団体の見解を、公開されている内容から紹介し、それぞれ当を得ない点に疑問を呈していた。
パネルディスカッションでは、様々な論点がたたかわされたが、肝心の権利者団体ないし警察の見方を述べる人がいなかったため、総じて対立軸が明確にならないものであった。
ただ、最後にWEB110の吉川さんが、「それでは被害者はどうすればよいのか」という問題提起をしていたが、きちんとした議論になるのには遅すぎの感があった。
なにはともあれ、パネリストのみなさん、お疲れ様。
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技術の進歩が法を変容させるメカニズムを論じるのは、簡単に済ませようと思えば簡単で、こり始めるときりがない泥沼へと落ち込むこと必定だ。
とりあえずラッダイト運動のことを思い浮かべても、技術進歩が法を変えるのには様々な抵抗を乗り越えて行かなければならない事態が容易に想像される。
#ちなみにラッダイト運動についてはラッダイトってありなのか?が非常に面白い。これによればラッダイトが打ち壊したニット織機は聖ウィリアム・リーという人がある娘を口説こうとしたところ、その娘がニット編みに夢中であったため、ニット編みなどしなくてよくなるようにと発明したものだそうだ。
##あ、こんな部分だけ取り出して紹介すると、誤解を招きそうなので一言。このラッダイトってありなのか?はもっとたくさんの情報が詰まっていて、しかも面白いので、是非ご一読を。
産業革命のような大きな変動に至らなくとも、技術の進歩が法を変容へと導いた例は枚挙に暇がない。
・交通手段の発達は海上・陸上・航空とそれぞれの領域で法の発展をもたらしたし、身近なところでは自動車の発達が民法の基本原則である過失責任主義を動揺させた。
・大規模小売店の発達は小規模な小売業を中心とする秩序を破壊し、最初は保護立法を、やがて新しい競争秩序を認めざるを得ない方向に法を変動させた。
・生殖医療技術の発達は、血縁関係に基礎をおく親子の観念自体を変えようとしているし、移植医療の発達が死の観念を変えてしまったのはもう昔の話だ。
・コンピュータ、デジタル、ネットワークは、取引のあり方も財産のあり方も政治のあり方も、数多くの法領域に変動をもたらしている。
こうした例の中には、既存の法体系が新しい技術を取り入れて、同じポリシーを維持している場合もあれば、既存のポリシーの転換を余儀なくされた場合もある。公害・環境問題と産業振興の制約はその例だし、様々な局面での過失責任主義の後退もその例である。大規模小売店舗の発達と保護政策の転換も、局面はだいぶ違うが、同様の例と見て差し支えない。心臓死から脳死へも同様であろう。
これらの例の多くは、国会の法制定により法の変容がもたらされたように見えるが、法の変容は立法によらなくても起きる。判例法はその顕著な例だし、慣習法もありうる。
取引実務の積み重ねがあると、関係者が共通に信頼することによって規範となり、それが判例や立法に取り入れられるという現象は数多い。典型的なのは仮登記担保であり、譲渡担保であり、ファイナンスリースであり、相殺の担保的機能である。
新しいところではデリバティブ取引とネッティングが、取引実務から生まれたビジネスモデルであって、やがて立法に取り入れられた例である。
肝心なことは、これらが立法に取り入れられる前に、あるいは判例で法的保護が認められる前に、関係者相互間の共通了解により規範化していったという点である。もちろんそこには契約自由の原則という高次の法原則の下に発展したという側面があることは無視できない。しかし関係者間の共通了解が法の変容をもたらすのは契約自由の原則が妥当する領域に限られないこともまた否定できない。例えば社会通念の変化によりわいせつ基準が変わってきたことは、その顕著な例だ。
もちろん望ましい例ばかりではない。エシュロンにより、通信の秘密という概念は大きく損なわれている。映像解析と集積技術、そしてネットワークの組み合わせにより、人に知られずに旅行をする自由はなくなった。憲法には移転の自由というのがあるが、これが旅行の自由を含むのかどうかよく分からないが、ともあれ高速道路を通るときも主要幹線道路を通るときも、車のナンバーから移動経路・時間をしっかり記録されることを甘受せざるを得なくなっている。
こうした例は、なるほど国会できちんと議論されて導入されたものでもなさそうなので、民主主義に対するテロリズムと言いたくもなる。
冗談はともかくとして、デジタル・ネットワークが世の中を変え、法の変容をもたらすことはごく当然のことだ。そしてそれは既存の法的利益に適合した法発展をもたらすこともあれば、既存の利益を損なっても新しい生活のあり方を生み出し、ビジネスモデルを生み出すことがあり得る。既に紙媒体による伝達に依存した経済的利益は大きく損なわれているだろうし、その変化に対応して自らのあり方を変えていける業界が生き残り、対応能力がないところは淘汰される過程が見られる。
著作権だけが、現在の体制を維持できるというのは根拠のない妄想である。
著作権制度こそ、表現媒体の技術的発展によりダイナミックな変化を経験して発展してきた法領域であり、映画の頒布権のような特定のビジネスモデルに適合する保護形態を内包する領域である。デジタル化とネットワーク化により、大きく影響を受け、新しいビジネスモデルがネットワークに適合して生まれてくれば、それに見合った法の変容がもたらされるだろう。
そしてそのとき、既存の法により保護された利益がそのまま維持できるとは限らない。むしろ、新しい技術条件に適合して自らを変えていけるところが生き残り、そうでない既存の法的利益にしがみついているところは淘汰されることにもなるだろう。
このように考えると、既存の著作権によって立つ業界(必ずしも著作者とは限らない)が、新しい技術の発展を必死に拒み抵抗しようとしているのも、当然の反応かもしれないと同情し、再びラッダイトってありなのか?を読み返したくなったりするのだ。
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国境なきレポータの報告書「監視下のインターネット2004」が公開された。
世界各国のインターネット監視状況についてレポートしている。
国家秩序への挑戦をインターネットに流した中国人が逮捕され自宅軟禁されているというニュースが載っているとホットワイアードで紹介されていたので、日本についても何が書かれているか読んでみた。
日本のインターネットは急速に普及し、ブロードバンドも世界一安い部類である。
すると、日本の憲法は表現の自由を保障しているが、日本政府はアメリカのスパイネット・エシュロンのアジア中継基地となることに同意していることに始まり、不法移民に対する監視、個人情報保護法の立法動向、サイバー犯罪条約批准の動きなどが伝えられている。
著作権秩序に挑戦的な言動をした廉で逮捕されてしまったプログラマのことは載っていなかった。
しかし、いずれも情報は古く、2003年が最新情報である。このラットイヤーの世界では、個人情報保護法もがまだできていない時代はいつのことか、という感じである。
従って47氏の話も、2005年の報告書には載っているかもしれない。そのときに、無罪を勝ち取った例として載るのか、それとも世界の独裁国家(アメリカももちろん含む)とならんで紹介されるのか、いずれだろうか?
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法(律)は国民の代表が理性的な討議の上で作られる。
民主主義の基本として小学校で教わる。原理的には正しいが、これには色々な虚構が混入しているということも、オトナになると見えてくる。
しかし原理的にも、法が国会の制定した法律だけでできているわけではないのは自明だ。政令もあり慣習法もある。
そもそも法は人間の生活を規律するルールだから、前提となる人間の生活環境が変われば、法もかわらざるをえない。
その変わるメカニズムは複雑だ。確かに、裁判所の解釈適用が最も大きな要素だし、行政庁、特に警察検察という法執行機関が大きな役割を果たす。しかしそれはいわば結果であり、法の変容のメカニズムはそれ以前に、生活環境という事実のレベルでの変化が大きな役割を果たす。いわゆる立法事実と呼ばれるものだが、狭い意味での立法事実(例えば取締立法を作る上での被害実態)だけでなく、国民の法意識が変わったり、政策的な決断があったり、生活に使う道具が変わったり、様々な要因がある。
科学技術の進歩発展が法の変化をもたらすことは、従って当然のことなのだが、問題はそれだけではない。
続く
町村泰貴@foma
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判例時報1854号51頁に掲載されている東京地判平成16年1月30日は、興味深い。
日本人女性がフランス人男性と結婚してフランスで暮らしていたが、夫のDVにより婚姻関係が破綻し、夫が警察に連行されたときに家を出て、子供を連れて日本に帰国した。そして日本の裁判所に離婚訴訟を提起したという事例である。
こういう場合、通常は夫婦の住所地であるフランスに離婚訴訟の国際裁判管轄があるのが原則だが、最高裁は、平成8年6月24日に、例外的に日本の国際裁判管轄が認められる場合があることを認めた(民集50-7-1451)。
その基準というのは、「原告が被告の住所地国に離婚請求訴訟を提起することにつき法律上又は事実上の障害があるかどうか及びその程度をも考慮」するという点である。
最高裁の事例では、ドイツで妻が離婚訴訟を提起し、日本で夫が離婚訴訟を提起し、妻の提起した訴訟は公示送達で確定したが、それは日本に効力が及ばないという状況で、夫はドイツで離婚訴訟を提起しようにもドイツでは離婚判決が確定しているのであるから起こすことが出来ず、他方日本ではドイツの判決効が及ばないので婚姻が継続しているため、日本で提起せざるを得ないという。
これに対して今回の東京地裁の事例は、法律上フランスで訴え提起することに障害はない。しかし東京地裁は、夫のDVという状況で、フランスで訴え提起すればフランスの裁判所は和解を試みなければならず、そのためには両者を同席させなければらない、従って身の危険があるという論理で、訴え提起の障害が事実上はあると認めたのである。
事例判決といえば事例判決だが、こうした解釈が広く認められれば、海外で結婚生活を送り、DV被害を受けて日本に逃げ帰ってきた被害者にとって、福音となることだろう。
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朝日新聞によると、馬術の五輪代表選考を巡る加藤麻理子選手が、日本スポーツ仲裁機構に代表決定の取消を求めて仲裁申立をするとのこと。
あの千葉すず事件ではスポーツ仲裁裁判所が舞台だったが、日本のスポーツ仲裁機構が五輪代表選考を裁くのは初めてである。
これまでの仲裁判断は3件。内最初の1件は申立人の言い分が通ったが、最近2件はいずれも申立棄却に終わっている。
少なくとも新聞で読む限り、加藤選手のケースは代表選考過程が不明朗な感じがする。仲裁判断が下されれば、その裁定書はウェブに公開されているので、明確さは完全であり、公正な裁定が期待できそうである。
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最近、メールが不安定である。
携帯電話のモバイルニフメールで読めたはずのメールが、パソコンでメールを取り込んでみると見あたらない。
また今日はウィルス除けのノートン博士が大活躍で「削除しました」メッセージを何度も見たが、突然あるメールファイルがなくなってしまった。二度目はなんと、ゴミ箱(trash)のファイルがなくなってしまい、メールを削除することができなくなってしまった。
それ以外でも、メーリングリストの番号が飛んでしまい、24時間後も来ないメールが散見される。
知り合いにも、特定の一人からのメールがブロックされてしまう現象に悩んでいると聞いた。
こうしたメールの不具合は、仕組みを正確に理解しているわけではないのだが、プロバイダのウィルスメールフィルタや迷惑メールブロック、それにパソコン内のメーラのフィルタ、そしてノートン博士のようなウィルス対策ソフトが悪さをしているのだろう。
せっかくインターネットというすばらしいシステムが普及して、P2Pを基本とするコミュニケーションが可能となったのに、ウィルスやスパムなどという邪魔者でまともなツールとして使えないのは、がっかりだ。
特にウィルスは、撲滅することはできないのだろうか?
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田中実・カルロ・シゴニオ「民事裁判について」覚書--16世紀人文主義者によるローマ民事裁判素描
法政研究70巻4号1205頁
副題にあるように、16世紀の人文主義者によるローマ裁判制度の叙述を紹介する。非法律家が非法律文献を用いて、しかも人文主義に基本的視点をおいたローマ法制度研究という点で、イエーリング等に対する批判的視座が得られるという。
町村泰貴@foma
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昨年に引き続いて、読売新聞の法科大学院説明会に参加している。
私の勤務校は名古屋のマイナーな私立であるため、東京でブースを開いても閑散としたものだが、東京の有力私立はこぞって宣伝に努める一日となっている。
しかし、昨年と比較して、他の有力私立のブースもそれほど混んでいないように見える。
会場の配置も印象に影響しているかもしれないが、昨年は用意した座席がいっぱいになり、さらに後ろにならんでいる状態がずっと続いていたところが、今年は一番混んでいるところでも座席が少し余っている。
会場を見渡してみても、相談者が常時複数いるブースはそれほど多くはない。
別会場で行われた講演会には400人ほど来ていたとのことだが、その400人がどっと説明会会場に押しかけたとはとても思えない状態である。
同僚によれば、大学入試センターの適性試験が1週間後に迫った今日、説明会なんかに来ている余裕がないのだということもあるだろうし、少し前に行われた予備校主催の説明会はもっとにぎわっていたという。
それにしても、人が少ない気がする。
適性試験の受験者数自体も昨年から数千人減であったし、昨年より受験者が増えるという要素はゼロだ。
法科大学院、設立2年目にして早くも冬の時代を迎えたようだ。
(追記:その後、ロースクールニュース経由でここを知ったという方より、当日人が少なかったのは同時に開催された辰巳の模擬試験に受験生が行っていたせいで、悲観するには及ばないというメールをいただいた。情報ありがとうございました。
なるほどそういうことであれば、冬の時代は速断に過ぎたかもしれない。
しかし、いずれにしても弱小私立や地方の大学院は、危機感をもつべきであろう。)
今後は、近鉄のように他に合併を申し入れるところ、ふそうのように外資(文字通り外国のロースクールとか、予備校とか)に身売りして生き残りを図るところ、あるいは文科省の補助金などをテコに数校が合併ないし連合して存続しようとする動きなどが予想される。
例えば、地方の法科大学院を開きたいが人がいないというところは、東京の定員不充足に悩むところと連合してやってはどうかと思う。
あるいは全体に人の少ない地方にもかかわらず法科大学院が複数あって困っているところ(どことはあえて言わない)は、連合大学院ということにして、一校は夜間専用、一校は昼間専用として、それぞれの教員が役割分担を図ってはどうか?
肝心の我が社の行く末は、とりあえず名古屋で行われる説明会の状況を見ないと何とも言えない(言いたくない?)と思う。
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日弁連の法科大学院センターで開かれた新司法試験シンポジウムに出席した。
なかなか面白い展開で、様々な見方が率直に示されて議論が盛り上がったことは、出色のできかもしれない。
その立役者となったのが慶応大学の井田良教授。理論と実務との架橋ということで、陳述書等の資料を提出して実務家の書面を書かせるような、あるいは刑法では論点として物足りない問題で検察官の立場から書面を書かせるような問題形式について、実務家のママゴトと切って捨て、現行の司法試験は理想的な出題形式だと言い切ってしまうのだから、殴り込み的でさえあった。
新司法試験の問題はどのようなものであるべきか、なかなかイメージがわかないが、短答式と論文式とを行うこと、論文式は時間をかなり長くかけて答えること、民事法は民法・民訴を一括して問題にするということなどが前提として決まっている。
その上で、知識を問う問題ではないとか、前期修習がなくなるので新司法試験は実務修習に行く段階の能力を身につけていることを測るべきとか、色々と与件がある。
そうすると、少なくとも論文式の出題形式は大体、当事者の陳述や証拠となる資料をある程度の量示して、当事者の主張を組み立てたり、裁判所の判断を答えたりといったやり方が多くなりそうだ。また民法と民訴の融合問題とはいっても、両方が関係してくる問題と言うよりは、一つの事例の訴訟法的問題と民法的問題とが出題されるということになりそうだ。
問題はその中身である。典型論点について通り一遍の説明を暗記してはき出すだけでOKという試験ではいけないということ自体は、大体一致しているだろうが、その先は模索中である。
問題案は、色々な立場から考えて意見交換に提供していく必要がある。
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ホットワイアードの記事から知ったのだが、メッセージラボというイギリスのプロバイダによれば、この5月に、全E-MAILの実に74%がスパムであったそうだ。そして、全メールの9.1%がウィルス感染メールだったとのこと。
通販業者がスパム規制に消極的なのは想像に難くないが、官僚も、また消費者団体の人々も、数年前の立法過程では不思議なことにスパムに甘い顔をしていた。
曰く、電話の方が迷惑だと・・・。
電話の方が迷惑だが電話はかける手間があるのだから、自ずと上限があるのであって、それよりメールのスパムはコストゼロに近いのだからひどいことになると何度いっても分かってもらえなかった。その結果が、上記のような統計である。
今、総務省はオプトアウトの態勢のまま刑罰を直罰方式にして規制強化に乗り出したといっている。
しかし、オプトアウトであれば、スパム業者に消費者の側から積極的に接触しなければならない。それによって二次被害が発生するということが分からないのだろうか?
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小原将照・イギリスにおける「管理命令手続」--「簡易破産」への示唆として
北陸法学10巻3・4号
イングランドのカウンティコートにおける小規模倒産処理手続の管理命令手続について紹介する。特に日本法の制度設計として、管財機能を裁判所が持つ点を批判的に論じている。
町村泰貴@foma
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Winny をめぐる問題には関心が高く、ついに緊急シンポジウムの開催会場を変更して追加の参加申し込みを可能にすることになったようです。
新:東京電機大学 神田キャンパス7号館1F 丹羽ホール
(*同一キャンパス内の別の会場です)
会場へのアクセス(変更ありません)
※なお、会場を大きい会場に変更いたしましたので追加で参加申込を受付けております。
(追記:300人規模の会場に変更したにもかかわらず、既に満員となって、参加受付は終了したとのことです。コメントくれたN先生、無事申し込めたかな?)
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今日は、日弁連法務研究財団の実施する第二回法科大学院適性試験の日である。
台風が首尾よく消え去った後で、東京は受験生生活を象徴するようなどんよりとした曇り空だが、ともかく嵐で交通が乱れたりすることなく無事実施できそうだ。
この試験、ロースクールの入学に必須とされているので、一般には法律の試験と誤解されている向きもあるようだ。実は全くそうではなく、論理的判断や分析的判断、長文読解力、そして表現力を試すものである。
例えば、次のような問題ができる。
====
問題【1】 ある大学にはAからEまでの5カ国から留学生が来ている。この各国のうち2カ国は嫌煙権が確立し、非喫煙者が喫煙者と同じ部屋に入ることはない。また3カ国は男女を同室にすることをタブーとしている。さらに、5カ国中3カ国は国境紛争のため互いに仲が悪く、同室にすると留学生同士が喧嘩を始めてしまうため、同室にできない。また2カ国は元植民地と元宗主国の関係にあるため、この二カ国の留学生同士も同室にすることができない。
以下のような事実があるとき、下記の設問に答えなさい。
・A国の男性留学生ジョンは煙草を吸わないが、この大学に留学したとき同室となったE国の喫煙女性留学生と結婚することとなった。
・B国の男性留学生ピーターは煙草を吸わないが、A国の男性非喫煙留学生との同室を断った。
・C国の女性留学生ルーシーは煙草を吸うが、B国の女性留学生の誰とも同室になることができた。しかし、E国の留学生とは、煙草を吸う女性としか同室になれなかった。
・E国の留学生カオルは、どの国の留学生とも同室になった。
[1]次のうち、確実に正しいのはどれか?
1. B国は国境紛争を抱えていない。
2. A国は国境紛争を抱えている。
3. A国は元植民地である
4. D国は旧宗主国である
(以下略)
====
過去の問題については日弁連法務研究財団のウェブページにも掲載されているほか、解説付きでガイドブックが出ているので、そちらを参照するとよいが、問題のタイプが4種類あってもいずれも法律知識は不要な問題である。
かつて、この試験の試行テストに関わったときに、試験を受けたモニター学生が、「こんなものでロースクールって入れるんだ!」といっていたのを聞いたことがある。
その学生の真意はわからないが、一般的に法科大学院の入試としては意外感があるのだろう。そのことは、このようなテストで法律家になる適性が測れるのか、という疑問ないし批判にもなっている。
特に、大学の先生からは、自分のゼミ生で優秀な者がひどい成績しか残せなかったといって、適性を測ることなどできないという厳しい批判がある。
しかし、法律家に論理的な思考能力や分析能力が必要なことは、全く異論がない。長文読解や表現力も同様である。問題はそれを正しく測れるテストとなっているかどうかであり、その点は個々のテスト問題の検討によらざるを得ない。もう一つの実施団体が行うテストの内容とも合わせ、完全な透明さの中で検討を進めていくべきである。
もう一つの問題は、開放性・公平性・多様性の理念と、法学部を存続させるという現実の中で、少なくとも未修者は法律知識を全く問わない入試をせざるを得ず、そのことから生じる誤ったメッセージである。
つまり、法科大学院では法律を学び、実務家になるための教育をするが、それ以前は全く法律を学んでいなくとも大丈夫という幻想を振りまいている。
正確には、法律を学んできた学生に対し、他の分野の専門を究めた学生でも入試段階で不利にならないようにするというだけであって、入学後は法律学を学ぶ以上、その予備知識があった方が有利に決まっている。他分野から算入する学生は、そのハンディを克服すべく、必死の努力をしなければならない。
さらには、法律を学び、道具として活用し、つまり法律を使った議論を駆使し、新しい法律や裁判例ができればそのを学び、といった作業を一生の仕事として継続するわけだ。そうした営みがイヤでないことが必要である。高い学費を納めて入学し、法律の勉強が好きになれないことを発見しても転身は困難な場合が多い。是非とも、合格してから入学するまでの間、みっちり法律の勉強をしておくことが、その後のハンディ克服にも、また自らの適性判断にも有用である。
法律知識を問わない入試制度は、入学前に法律学の自学自習が必要だというメッセージを出さないという欠陥がある。この欠陥を補うためには、入学前指導を行うとか、入学案内に具体的に勉強をしておく必要があることを記載しておくとか、特に念入りの指導が不可欠である。
さもなくば、誰でも法律家になれるかのような宣伝で客を集めて、後は自己責任といって責任を持とうとしない「士商法」と変わるところはないといわれてしまうと思うが、どうであろうか?
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法科大学院の授業で持ち上がった問題を一つ紹介する。
胎児には、実体法上権利能力が認められる場合があるので、その限りで当事者能力があるというのが一般的な説明である。
ところが、伊藤眞教授の教科書(第三版第一刷)には、「実際の訴訟行為は、出生後に法定代理人となるべき者によって行われる」とあり、胎児の間に訴えを提起することは認められないように読める(p.91)。民法の内田貴教授の教科書(民法I第二版補訂版p.91)では、もっとはっきりと「胎児の間に母親を代理人として損害賠償請求ができるかは争われており、判例はできないとの立場をとった(大判昭和7年10月6日民集11-2023「阪神電鉄事件」).したがって、生まれてから母親(法定代理人)が代理して損害賠償請求することになる」とされている
しかし、大判昭和7年10月6日民集11巻2023頁は、訴え提起を不適法としたのではなく、胎児の間に戸主が締結した和解契約が胎児に及ばないとしたものであった。しかもこの事案では未認知の子であって戸主に代理権があるとは言い難い事案と理解でる。
仮に法定代理人が胎児のために訴え提起などの訴訟行為をしたとすれば、それが認められるかどうかはこの判決の射程外であろう。
また、民事訴訟法の他の教科書・コンメンタールでは、例えば上田徹一郎教授の教科書では胎児に当事者能力があるとして、胎児が当事者として訴えを提起した後死産であった場合の処理につき記述があり(p.93)、注釈民事訴訟法(1)p.415(高見進)では、当事者能力があって証拠保全や仮差押え仮処分などで実益があり、出生のときに法定代理人となるべきものが法定代理人として訴訟行為をすると書かれている。その引用元である菊井=村松・全訂民事訴訟法Ip.226では、解除条件説の下で「損害賠償、相続、遺贈に関連する事項という特定分野において当事者能力を有するという特殊な訴訟法上の地位にある」とされている。
同様の記述はその後継書にあたる『コンメンタール民事訴訟法I』(日本評論社)p.270でも維持されており、この本の共同執筆者には伊藤眞教授も含まれている。新堂幸司教授の教科書p.120も同旨である。
伊藤教授の教科書も、改めて読み直してみると、91頁には 「実際の訴訟行為は、出生後に法定代理人となるべき者によって行われる」とある。「出生後に」というのが「行われる」にかかると読んで、停止条件説と合わせて胎児の段階では訴え提起ができないと理解したが、もう一つの読み方もできる。「出生後に」が「法定代理人となるべき者」にかかるとするものである。こうすると、より正確には、「出生前の訴訟行為は、出生後に法定代理人となるべき者によって、行われる」ということになる。そして注19は明らかに出生前の訴え提起があり得ることを前提としているので、「出生後に」が「法定代理人となるべき者」にかかると読むのが正しいのだろう。
こうしてみると、少なくとも民訴法上は、胎児が当事者能力を有し、法定代理人によって訴訟行為をすることができるとする説が通説である。
民法上の通説はどうかというと、周知のように解除条件説と停止条件説とが対立しているが、新版注釈民法(1)では谷口知平博士が解除条件説を支持され、星野英一教授の民法概論Iでもかつては停止条件説が有力であったが近時は解除条件説が有力とされている(p.92)。
このように見ると、権利能力については生まれたものと見なし、死産の場合はさかのぼって効力を覆す取り扱いが、実体法上も通説的地位を占めていると思われる。
本題に戻って、胎児による訴え提起が許されるかどうかはどのように考えるべきか。
まず、実体法が胎児に一定の場合に限った権利能力を認めている以上、訴訟上もそのような制限的当事者能力を認めるのが筋である。そして当事者能力があるにもかかわらず、その者を当事者として訴えを提起することができないと解する根拠は、特に見あたらない。かえってそのように解するのは、当事者能力という言葉の定義上、矛盾がある。
大審院の前掲判例は処分権を認めた趣旨とは解し得ないといい、その為の機関もまた用意されていないという理由で、和解による処分ができないとしているが、訴訟行為をする機関としては法定代理人が観念できる。またこの判決は胎児の間になされた和解による権利喪失を否定するという点に主眼があったもので、胎児の権利を保全するための権能を否定する論拠にはストレートに結びつかないというべきである。
訴訟当事者として訴え提起その他の訴訟行為を認めることのメリットデメリットを考えてみても、文献が指摘しているように民事保全や証拠保全、そして最近では訴え提起前の証拠収集処分などを行うことが考えられ、その前提として訴え提起を含む訴訟行為をなす能力、すなわち当事者能力があると認めることのメリットがある。デメリットとしては、胎児の間に提訴してなされた訴訟の結果が、死産の場合は無効となってしまう手続的不安定が考えられるし、相手方の応訴の負担もある。しかしこの不安定さは、胎児の間手続を止めておかなければならないこととバーターの関係にあり、少なくとも急いで行うべき手続がある以上は、その不安定さや応訴の負担は甘受すべきである。
以上の次第で、胎児には制限的な当事者能力が認められ、従って胎児のまま法定代理人による訴え提起等の訴訟行為ができると解するのが相当である。
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5月20日の本欄で記載したネット監視を求める仮処分についてだが、和解が成立したらしい。
1年間にわたるネット上の監視作業を認めるによれば、以下のようである。
---
ACCSが求めていた以下の各点について、元国立大学研究員が全面的に同意してこれを自主的に行う旨宣言し、和解調書に明記されることになったものです。
1.ASKACCSの利用していたサーバから入手した約1,200件の個人情報と、元国立大学研究員自らが作成した個人情報が含まれるパワーポイント資料の流布・拡散について、和解日から1年間、インターネット掲示板やインターネットホームページを1日1回程度の割合で点検すること。
2.個人情報の掲載が確認された場合は、ACCSに報告するとともに、掲示板の管理者などに対して個人情報の削除を求め、当該個人情報を掲載した者を特定するための情報収集を行うこと。
3.月1回の割合でACCSへ点検状況を報告すること。
----
興味深いが、これを本当に和解調書にまとめたのだとすれば、その書記官・裁判官も興味深い。
1や2については給付の内容が特定されていると言えるだろうか?
また2の削除要求義務と情報収集義務とは、元研究員が自ら個人情報流出を発見した場合に限るのか、それともACCSが見つけた流出についても元研究員が削除要求義務と情報収集義務を負うのだろうか?
後者だとすると、法外ともいってよいほど過大な義務を負うことになる。
こんな和解をのんだ元研究員だが、その道で高名な弁護士が代理人となっているそうなので、
おそらく上記は杞憂ということなのだろう。
いずれにせよ、興味の尽きない事件である。
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先の授業で権利能力なき社団の問題が取り上げられた。
法人格のない社団にも一定の法主体性が認められ、訴訟当事者能力が明文で認められているほか、判例は社団の有限責任性を認めている。
ところが判例は他方で、権利能力なき社団の財産権の主体としての地位は認めず、社団の財産は構成員に総有的に帰属するという。
さて私の授業に参加している学生達は、判例の用語法に従い権利能力なき社団が財産権の主体とはなれないと書き、それにも関わらず契約の当事者となるという構成の下で、訴訟当事者にもなると論じた。
#一人、例外として訴訟担当者構成を取る者がいて、一歩ポイントリードという感じだが、この点は下記参照。
しかし財産権の主体足り得ないものがどうして契約の当事者になるのだろうか?
また権利能力なき社団が財産権の主体になりえないというのを真に受けるなら、契約上の債権債務を社団が負担することは背理となる。まして社団の債務に構成員が有限責任しか負わないというのも、筋が通らない話である。
財産権の主体となりえないのなら、社団の債権債務に見えるのは構成員に帰属するというにほかならない。そうだとすると民訴29条の当事者能力が認められているとしても、(社団の債権債務に見える)構成員の債権債務について訴訟が提起されたとき、当事者適格は構成員にあるのであって社団にはない。
社団が構成員の債権債務について当事者適格を得るためには、任意的訴訟担当を認めてもらう必要があるが、そうだとすると判決効は有利不利を問わず構成員に及ぶ。
結果、財産権の主体ではないと言う表現に囚われて、その方向で一貫させようとすると、構成員個人に帰属する債務を社団が担当者となって応訴し、その判決効は構成員に及ぶのに、構成員個人の財産には執行できないということになる。
しかしこれは極めて無理な解釈である。
逆に、民訴学者の側で支持されている考え方と言われているが、民訴29条が当事者能力を認めた限りにおいて、財産権の主体たる地位が認められたのと同じ扱いがなされるという論理も奇妙である。財産の主体となるかどうかはあくまで実体法の問題であり、当事者能力の有無とは無関係といってもよい。社団の財産を巡る訴訟について当事者能力が認められるが故に・・・という前提に、既に「社団の財産」という言葉が入っているように、少なくとも構成員の個人財産とは区別された財産の存在をあらかじめ認める必要があるのである。
判例の言う財産権の主体足り得ないという命題は、どのような事案で、どのような結論を導くために述べられたかをきちんと理解すれば、おのずとこんな無理解釈にハマらずに済みそうだが。
町村泰貴@foma
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ネットで普及する音楽「マッシュアップ」は著作権の常識を変えるか
『グレイ・アルバム』販売差し止めに、ファンたちが抗議
後者はやや旧聞に属するのだが、著作権のあり方がデジタルとネット技術の進化によって変わらざるを得ない事例として、改めて注目だ。
特に、後者の記事中に見られる発言:
>クリエイティブ・コモンズの責任者、グレン・オーティス・ブラウン氏は、
>『ザ・グレイ・アルバム』に「これだけ人気があることは明らかなのだから、
>今回の件についてEMI社が契約を結んでケリをつけようとしない理由が
>わからない。私には、どうも理にかなっていないようにみえる」と語っている。
> ブラウン氏は、レコード会社側が、双方が利益を得られる状況だと認識し、
>曲の使用を許可して利益の一部を手にしようとしないことに驚いたと述べている。
>「古いものを2つ合わせることで、新しいものを創り出す。レコード会社が
>これを金儲けの手段だと考えないとは驚きだ」
ということなのだが・・。
日本にはパロディを否定する同一性保持権があり、これが世の中の発展を妨げている。
同一性保持を著作者の絶対的な権利として認めるべき局面を明確にして、翻案権の領域や二次利用の許される領域との区分を論じるというような文献はないものか?
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いわゆるマカーになるのが少し遅く、PDAを使い始めたのはもっと遅かったので、ニュートンはまるで知らない。が、この記事に出て来る人たちがいることは理解できる。
ニュートンで手書き文字入力し、電子メールでアップする。画像送信はカメラ付き携帯で行うそうな。
私も時々カメラ付き携帯で、このブログを書いてアップするので、要するに同じことだ。
> モブログ作りにおいて重要なのはNewtonの携帯性だ、とトロット氏は話す。持ち運びしやすく、
>常時手近に置いておけるので、モブログを書く作業が習慣になるからだ。カメラ付き携帯電話に
>も同じことが言える。「いつでもそばにあって使えることが何より大きい」とトロット氏。
全く同感だ。
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リコール隠し問題を受けて、静岡、愛知、三重県や名古屋市が相次ぎ、三菱車の購入自粛を決めたというニュースをニフティで見たが、けだし当然であろう。
別にサンクションを加えようとしてやるのでなくとも、欠陥があってそれを隠している企業から物を買おうとする方がどうかしているのだ。ましてや自動車は人命を直接左右するもの。
もはや欠陥車を発売しても知らん顔を決め込む会社であることが判明した以上、三菱車をこれから購入した人が欠陥のせいで事故をおこしたとすれば、買った方だって責任があるだろうに。
多分、三菱はこの間発表したリコール以外に隠しているリコール対象品はないと言っているに違いないが、誰か「オオカミが来た」と言い続けた少年の話をしてあげた方が良いと思う。
三菱厨のびょんさん、どうですか?
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2004年6月2日から、フランス官報は、電子版を正式のものと認め、電子版に掲載した法令の法的効力を認めた。
今までは紙媒体の官報が正式のものであって、電子版はその非公式な写しにすぎなかったが、今後は紙媒体とならんで電子版も正式のものと認められたのだ。
ということは、これまで紙の官報が市役所に到着した日が法令の公布日であって、パリと地方と海外領土とでその日が違うと解されていたのだが、今後はフランス全土+世界中のフランス領土で、同一日に公布されることになる。
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47氏逮捕の報から約一月、2chのダウンロード板の特にいわゆる寄付スレを中心に、47氏の弁護士費用をみんな
で出し合おうということで盛り上がってきた。
あっという間にスレッドが消化されてしまうのでリンクを張っても新聞記事に張るようなものだが、一応、47氏の弁護士費用を寄付するスレPart40を張っておく。
そのスレッド参加者だけではないと思うが、この弁護士費用寄付は最終的に1600万円も集まり、例外的に高いらしい保釈金も軽々と支出でき、所期の目的を見事に果たした。
個人的には正当な弁護士報酬もそこから支払われる姿をみたい(弁護士はボランティアではない)が、それはまた別の話。
このことはもっと注目されてよいと思う。とかく2ちゃんねるというと誹謗中傷の巣窟としかイメージされず、そういう報道しかなされていない。また実際にも、寄付スレでさえ、誹謗中傷の荒らしが吹き荒れているのだが、それをものともせずに47氏逮捕に抗議したい人たちの前線基地として立派に機能したといえよう。
子供の暴発のせいで、またまたネットワークに対する迷惑なネガティブキャンペーンに火がついているが、匿名掲示板で直接氏名を晒すことなく発言している人たちが、普通の人間だということを忘れないでほしいものだ。
それはともかく、47氏が無事保釈になり、寄付の受け入れ役を引き受けて下さった壇弁護士が口座を閉じて47氏に引き渡した現在、支援の方向性が急に見えなくなって、どうすればよいか分からない状態に陥っている(ように見える)。
もともと、47氏逮捕に反発して支援を寄付という形で行ってきた人々の中には、47氏個人の救援を目的にした人から、個人的知り合いではなく、ネット技術者一般の危機と受け止めた人、あるいは自由なネットの危機と受け止めた人、著作権プロライトの暴力と受け止めた人、幇助の拡大解釈しすぎで危機感を覚えた人など、色々な問題意識があった。人により力点は様々だろう。
そういう様々な関心が、47氏の逮捕に抗議して弁護士費用を寄付するという一点に引きつけられた結果が1600万円なのだ。
振込で参加できる寄付という手軽さも、またその成果が金額となってリアルに示される達成感も、人を引きつける原因だった。
寄付という形の支援活動は成功したのだが、47氏の拘束が解けた段階では、事情が異なる。
本人が受け入れを拒否しないという意思が示されなければ、47氏に引き渡して使途などをすべて一任するという形での寄付は続けられない。
#本当は拘束中でも同様だったのだが、急を要するので目をつぶったというのが本当のところだ。
今上記のスレッド(全部読めていないが)その他で、今後の方向性も議論されている。
例えば、署名を集めるということ。
47氏が逮捕された時点では、その釈放を求めて、ということで署名も考えやすかったが、一応保釈され、公判がはじまろうという段階では、目的が見えにくくなっているように思う。あくまで無罪判決を目指す以上、寛大な判決などは求める必要がない。
幇助概念の拡張解釈に抗議する意思表示であれば、意味があるだろう。実際の法執行機関である警察・検察に対する抗議の意思を示して、今後はこのような無茶な刑事立件がなされないように求めるというのも一つの方法だ。
幇助概念の無茶な拡張に歯止めがなくなれば、罪刑法定主義もへったくれもなくなり、表現行為や学問研究活動に対する萎縮効果は計り知れない。
が、しかし、それは47氏に対する支援とは一歩退いた活動だ。
金子勇氏を支援する会を中心にして、寄付を再開すること。
実際、弁護士費用に限らず訴訟追行にかかる費用も考えると、金銭的な支援の継続は必要だと思う。47氏自身より、支援団体が中心になって呼びかけて管理するのが普通だ。
そのためには、使途をもう少し明確にする必要があろう。弁護士さんの旅費日当など実費もどれほどかさむか分からないし、弁護士費用や訴訟追行の費用で消えてしまうかもしれないが、それ以外にもやれることは色々ある。
例えば側面支援活動として海外のP2Pソフトの作者や関係者を招いての国際シンポジウムを企画するとかだ。そのように使途を示すことで、47氏個人の問題から広がっていくことも考えられる。
ただ、税金などやっかいそうだし、寄付によりNPOみたいなものを設立したり、その目的を設定したりすることを考えると、なかなか一筋縄ではいかないかもしれない。
緊急シンポジウムのように、Winnyを契機として著作権のあり方を考えるということも、大事な活動だ。日本法だけでは済まない話なので、考えた内容はきちんと海外に発信していくことも有効だろう。
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情報ネットワーク法学会が共催の一翼をになって
ワークショップ開催です。
Winnyを契機に情報処理技術の発展と社会的利益について考えるワークショップ
2004年6月28日13:00-17:00
社団法人情報処理学会主催
場所:東京電機大学神田キャンパス11号館17階
(追記)なお、参加申し込みは6月9日に定員に達したため締め切られました。
町村泰貴@foma
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今朝の女房の一言
「三菱自工はパトカーもリコールしたの?!
戦車は大丈夫か?」
それ作ってるのは別の会社だろけど、なんかイラクで進軍中に車輪外れて助けてもらっている情けない姿を連想してしまった。
町村泰貴@foma
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経済産業省は電子商取引の準則16年度改訂版を発表した。
今度の版では、ウェブサイト利用規約の有効性、仲裁付託条項の効力、ノークレーム・ノーリターンの効力、e-ラーニングの法的トラブルが新規に追加されたほか、契約の締結時期なども変更になっている。
全166頁の労作である。
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またまたおかださんのどこにあるんだ法律書---ジュンク堂に啓発されて書いてしまうが、実は私が最初にジュンク堂を知ったのはパリだった。
パリのジュンク堂は、日本のジュンク堂と同じか違うか知らないが、日本情報が乏しいフランス国内ではオアシスだった。今から10年前の、インターネットもモザイクがあるかないかという時代であり、日本で使っていたmatimura@otaru-uc.ac.jpというJUNET→WIDEのアドレスもフランスでは使えなかった頃だから、本当に日本情報に飢えていたのだ。リヨンという大都市でも日本の新聞などなかったもんね。
それはともかく、名古屋にもジュンク堂がオープンしました。
大学時代の同級生が書いたマイナーな本もちゃんと置いてあったので、かなり品揃えは期待できます。
名古屋で法律書を探すには、このジュンク堂の外に、名古屋駅の高いところと地下とに二つある三省堂書店、そして栄の丸善くらいかな。もちろん南山大学の紀伊國屋書店や名古屋大学生協も使えますが。
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おかだよしひろさんのブログによれば、判例を入手した雑誌社は判決を下した裁判官に掲載価値の有無を判断してもらい、ついでに当人に判例コメントを依頼するらしい。
そこで、自分の判決に対して妥当な判決と言えようとか書かれていると、判例雑誌のマニアはニヤリとするらしい。
しかし、これまで見た中でも、議論を呼ぶとか、議論の分かれるところとか、やんわりと批判しているコメントもあり、それはきっと合議で多数決に破れた主任裁判官とか、当人が忙しくてよそに依頼がいった判決なのだろう。
ちなみに、裁判所が新着判例をウェブで発表しているが、あれは判決を下した各部が責任を持って選定し、仮名処理をして発表するとのことである。従って部によって発表に積極的なところとそうでないところの温度差が激しく、やたらと東京簡裁の判決が多いなど、ばらつきが生じている。
思うにそういう格差をなくすためにも、数値目標を立てて、掲載率50%ぐらいを達成してほしいものである。
こうすると、当然不必要な判決が多数発表されることになるが、後は二次利用者が選別すればよいことである。
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>三菱自動車は2日、リコール隠ししていたのは26件で、
>対象台数は約17万台と発表した。
> 同社によると、リコール隠しの対象車種はランサー、
>ミラージュ、パジェロ、ギャランなど。
あの〜、うちでもミラージュに乗っているんですけど。そういえばなんかプレーキの効きや加速性能が弱いような気がしているんですけど。
リコール隠しをするなら、契約を解除できませんかね。6〜7年前に買ったものですが、契約解除して原状回復を請求したいと思います。
新車を買うなんてとんでもないし、これまで買った三菱車は「返品」してもいいんじゃないかな、これは。
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壇弁護士からの報告です。
私からも、弁護団の先生方と金子さんに、心から乙!
・・・・・・・・・・・・・・・・
平成16年6月2日で、支援金口座
を解約致しました。
支援口座の総件数は2042件
総支援額は16,185,772円です。
うち、保釈金500万円を除く、
11,185,772円に銀行利息の4円を
付加した11,185,776円については、
全額、金子氏に引き継ぎ致しました。
今後は、金子氏や支援者が中心となって、
新たな支援活動や支援金の輪を、
広げて頂きたいと思っております。
(贈与税等も考慮してください)
皆様のご支援をよろしくお願い致します。
なお、
弁護団に対しても、ささやかで結構ですので、
優しいご支援の声を頂けたら幸いです。
・・・・・・・・・・・・・・・・
今後は新井さんを中心になっていくだろうと予想してますが。
町村泰貴@foma
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ADR立法はいよいよ大詰めを迎えている。
司法制度改革本部のADR検討会のページによれば、5月24日の検討会でヒアリングを終え、31日に法案とりまとめに向けた議論の収斂がなされた模様である。
5月31日の議論はまだウェブにアップされていないが、少なくとも24日までの議論によれば、ADR立法は認証制度を導入し、認証されたADR機関が行うADRについては不調に終わって訴訟に移行すればADR申立時点で時効中断効が認められるということになりそうだ。
懸案のADRによる合意に執行力を付与するかどうかは消費者側から反対の声が強く、委員の間でも賛否が分かれている。
他方、ADRを経た紛争については、調停前置主義の適用がある場合でも、直接訴訟提起が可能となる方向が示されている。これは現在の調停前置の下でも結局話し合いの余地がなければ調停を省いて提起された訴えでも審理に入ることができるので、その裁量の中で認められるものだ。逆にいうと、ADRを経て提起された訴えについて、調停によることが必要と裁判官が判断したものは付調停ということになる。
現行法と変わらないように見えるが、原則例外関係が逆転するので、結構大きな変更となるように思われる。
それから、仲裁は認証制度の適用を受けないとか、認証されたからといって当然に弁護士法72条の適用除外となるわけではない反面、認証を受けないからといって当然に弁護士法72条による業務独占がADRに及ぶというものでもないといったあたり、曖昧な部分を残している。
ADR立法ができると、司法制度改革もいよいよほぼ終わりになる。検討会は、司法修習生の給費制度見直しがなお進行中のみである。
ただし、その他の課題では、消費者団体訴訟制度の立法が国生審の下で進行しているし、法制審議会の民訴改正も進行中であるので、まだ法改正ラッシュは終わったわけではない。
そして仲裁法のように、複製自由な英訳を立法サイドが作っていくことも重要な課題である。
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時事通信のページによれば
>ファイル交換ソフト「Winny(ウィニー)」をめぐる事件で、京都地裁は1日、
>著作権法違反ほう助の罪で起訴された東大大学院特任教員の金子勇被告
>(33)の保釈申請を認めた。同被告は保釈保証金500万円を納め、保釈された。
とのことである。
悪名高き人質司法で、否認している被告人は保釈しようとしない裁判所
(あるいは実質的には検察官)が、珍しく保釈を許した。
(追記:ところが「保釈された」という部分は誤報だった。コメントに壇弁護士直々
書かれているように、検察側が準抗告したから。
刑事訴訟法には詳しくないのだが、保釈決定の執行は準抗告により当然停止
される、というか保釈決定は確定しないと効力が生じないということなのだろうか?
ともかく、上記の検察官が保釈を許したというくだりは間違いであった。)
まずは金子さんにご苦労様といいたい。
(追記:このフレーズもまだ出せない。すぐに有効になると信じているが・・。)
(追追記:今度こそ、京都新聞のウェブで保釈されたと報じられた。コメントで指摘してくれた方、ありがとうございます。)
それにつけても、ちらほら一罰百戒とかいう言葉を報道などで目にするが、この言葉一つとってみても今回の刑事訴追がいかに日本の技術開発に悪影響を与えるか分かりそうなものだ。
幇助ということで、正犯との直接的な結びつきも明らかでないまま、著作権侵害に「も」使えるツールを開発配布たというだけで逮捕起訴され、これが百戒を及ぼすのであれば、その累はどこまで及ぶか分かったものではない。
ネットワーク技術の開発は、いずれも刑事罰を問われる危険に怯えながら行わなければならないのだろうか?
幇助という、もともと曖昧な概念が無制限に広がるようだと、罪となるかならないかが取り締まり当局(警察・検察)の恣意的な裁量に委ねられ、我々の行動の自由が警察のお目こぼしによって維持されるという前近代的な社会がやって来てしまう。
そうならないためにも、幇助となるのはここまでであるという線を、きっちり示してもらいたい。
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